てなワケで、大変長らくお待たせしました。
業界の風雲児・野澤シャチョーの 松下幸之助も真っ青の経営哲学を皆様にご紹介。
まずはシャチョーの偽版画押し売りビジネスの基盤となっている思想「アフリカの靴」のお話からドゾ~。

シャチョー:
大分前にさかのぼりますが、アフリカではほとんどの人が裸足で歩いていたという時代があります。

今まで裸足で歩いている人に、靴を履かせようということで靴を売りにいったらですね、「なに考えてるんだ」。「我々は裸足で今までずっと代々生活してきて、困ったことがないんだ」。「そんな高いお金を出して足に何か履く気持ちがまったくわからない、見当違いもいいとこだ」とこういうことです。

ところがその住人の中では、偏屈者と言われかねない人が1回靴というものを履きました。靴を履いてみたら、こんなに裸足とは違うのかと思い、そういう体験をしたことで、その人はもう1足欲しくなった。「こんなにいいもんだったら、もう1足頂戴よ」と、こういう話になった。

それを見た周りの 人も少し履いてみたら、「こんなにいいものか、何故今まで裸足だったんだろう」という、あまりにも大きなギャップにびっくりしたということで、靴を買った人がもう1足買うという現象が次々に起こった。

一足でも靴という快適なものを履かない人から見たら、ムダなことだし、すごく高いとも思う。もう1足っていうのは考えられないことだけど、その価値を知ってしまった人には手放せないということですね。絵はそれと同じじゃないかと。

野澤克巳社長の御著書『想いあれば道拓く―アールビバン21世紀への挑戦―』(なんちゅーすンばらしいタイトル。自費出版して取引先に配ったらしいっスよ)にも載っている逸話です。
なんて斬新で感動的なエピソードなのでせう。でもちょっとだけ突っ込ませていただくと、
靴は消耗品。絵画(一点もののタブローもしくは人気の高いオリジナル版画)は動産。
同列に論じられるもんじゃないと思うんですが。

アールビバンは客に「絵は一生の財産」と言ってエスタンプを高額で売りつけてるんですよね?

自ら「ウチで売ってる額装高額ポスターは、財産価値のない消耗品」とお認めになるのかしら。

同じ靴でも、一流の職人に足の木型をとる事から始めて完全オーダーすると、最高級商品ならバイク一台分くらいの値段がしたりしますけどね。でも、あくまでも消耗品の日用品。
まして、靴の例えでいえば、アールビバンで売っているエスタンプは大量生産のケミカルシューズのようなもの。
消耗品で安物のケミカルシューズなら、それなりの値段と正確な品質の説明付で売って欲しいものですね。
ヘンシューチョ: 
話は変わりますが、人間の脳は左右半分にハッキリ分かれてて、日本人は割合、左脳型だと一言われるんですね。
反対に、西欧人は右脳型と言われています。左脳型というのは、生真面目なんだそうです。

右脳型っていうのは逆に、愉快だ、冗談をよく言う、朗らかだ。そして、図形、物の形象の認識が左脳の人よりも得意らしいんです。そうするとやっぱり日本人が絵画が嫌いだというか、苦手だというのにつながる。

左脳の人は決まりきったことはきちんとやるんだけど、オリジナリティっていう点では右脳の人に劣るところがあるらしいんです。
ということは、今の裸足のエピソードで、靴を履きますよね。つまりアートに親しんでいると、だんだんと左脳の日本人が、右脳型になっていくわけですよ。そうすると生まれつきの日本人の内向的なものプラス、右脳型の外向き、要するに色んな外交面、人づきあいでも良いらしいんですよ。

まあ図形が好きになる、あるいは朗らかになる、愉快になる、外向きになる“靴”を履くとそういう効果もあると言われていますね。
まともに説明すると長くなるので、とりあえずここいら辺からリンク先をあちこち見て回ってください。
>> 右脳左脳はトンデモだったのか(中村正三郎のブログ2005年12月29日 10時47分36秒)

DS脳ゲーでお馴染みの川島隆太先生も「右脳神話なんて迷信です」と明言されているそうですよ。
総じて、エセ科学を持ち出して自説の説得力を強化しようとする人って、物の考え方が雑な人が多いよね。
自分の脳内に強力な欺瞞システムが搭載されているから、知的に怠慢なくせに自信満々で、他者を煙にまくのが得意。単純に頭の悪い人間より始末が悪い。

19世紀に日本の浮世絵や工芸品を見たヨーロッパのアーティスト達は、「日本では庶民の生活にまでこんな優れた意匠が取り入れられている程、アートが身近なのか」「宗教画の伝統を長く引きずってきたヨーロッパに比べて、アートに関しては何と自由で柔軟な社会なのだろう」…と感動し、憧れたそうですが?
近年は「絵で物語る」マンガやアニメが海外で評価されてますしね。

絵を描くことで食ってる人間の比率が一番?多いのが日本って話もどこかで聞きましたが(ソース失念)。 美術について語る評論家の癖に、そんな事も知らないんですか?
シャチョー:
きっかけは、私の知人が絵のビジネスを始めると言うので、一度お世話になっていたので、見に行くことになったんです。

冷やかし以前の問題で、お世話になったから行っただけで、絵なんかには全然関心がなかった。そこに飛び込んでしまって、見たら帰ろうと思っていた。
わけわかんないんで、正直何も感じなかったんですよ。キレイかなと多少思ったり、絵ってこう言うもんかなとは思ったけど、何にも感じないんですよ。

で、パっとあっけなく展覧会場を一周したんですよね、関心がないから。私は人が3枚見るうちに一周しちゃったんです。ダメだこりゃと思って、恥ずかしいから出ようとしたんですよ。

でも、出ようとした瞬間にもうひとりの自分が呼んでて、「ちょっとちょっと、世話になったんでしょう」と思った途端に、私は振り返って言っちゃってたんです、「先輩ひとつ、買います」と。
これが私のいいところかななんて、誰も言ってくれないんで。それで、言った手前買わざるを得なくなっちゃった。

しかし、現金なものでね、お金出して買うというと、真剣になっちゃうんですね。
今度、特急で一周じゃなくて、1枚1故丁寧に見るようになったんです。


それで、どうせ買うなら、どうしたらいいですかって言ったら、「それは好きなの買ったらいいじゃない、なんかないの?」と言うから、なかなか難しいですねって言ったんですけどね。
それで、それなりに、よしこれだっていうのを、わからないなりに選べたという。

シャチョー:
そうです。だからプレゼントされた絵なんて、どんなにいいものでも価値がない。
自分の目でわからないなりにも、選べたっていうことに価値があるんだと思うんです。
自分が選んだがゆえに、そこに分からない中にも愛着というのがある。自分の決断に愛着が出てくるんですよ。
ヘンシューチョ:
自分が履く靴ですからね。
心理的に言っても自分が主体的に選んだものだから、いいもんだ、良く思おうと、評価しようとするわけでしょう。
そのうちに自分が今まで気が付かなかった“靴”のよさ、絵のすばらしさが見えてくるみたいなことがありますね。
心理学用語で言うところの「認知的不協和の合理化」というヤツですね。

平たく言うと、「行列に並んで食べたラーメンは美味しいと思いこむ法則」

自分が損をした、愚かな判断ミスをしたと思いたくないから、自己正当化の為に価値のないものを価値があると思い込もうとする心理。
こういう心理を抑えて販売戦略を立てるのは、詐…おっとっと、商売人の基本です。
流石はシャチョー。義理で18万円のカルズーを買わされた経験からよく学んでいらっしゃる。
イベントにフラフラ迷い込んできたウッカリ者に、「どの絵がお気に召しましたか~?」と強引に話しかけて、強いて言えばコレ?と答えたら、「うわぁ~これはね、この作者の中でも特に力が入った作品なんです。お客様、見る目がお高いですね」
と褒め上げて、無理やりその気にさせて売りつけるというマニュアルの原点はコレなんですね!流石ですっ!
シャチョー:
アートというのは本当は誰もが嫌いって言うものじゃないんですよ。ただ、身近にきっかけがないだけなんです。
本当はみんな気に入るものなんだけど、きっかけがないだけであって、若い時の自分のような人が世の中にわんさかいる。

私がそこで気が付いたのは、関心のある人はそれでいいんです。はじめから関心のある人なら銀座の画廊に行って買ったらどうですかという、ちょっと極端ですが。
だから、むしろ関心のない初めての人に靴を履いてもらうことの方が大きなインパクトを与えられるというか、変化率が高い。

今までだったらまったくない目が、自分の新しい目として備わったというか、出てきたというか、これはすごいなあ。何もないものが出てきた。私にとっては、これが目から鱗じゃないかというような体験だったので、これをなんとかしようと思ったわけです。
ヘンシューチョ:
そこが一番のエネルギーというか、これが最初から好きだったら、自分が好きな物を勧めるのは当たり前だ。
だけど、自分がまあ買わされたと体験して思ったことが、でもそのうちにだんだんわかってきて、“靴”を履くと思ってもいなかった快適でリッチになる、豊かになる、そういう実感を掴んで、これはすごいと、これなら。そういう商売がやってみたいな、と。
…だから、世間知らずの20代の若者に、12人の妹の額装高額ポスターを60回ローンを組ませて販売していらっしゃるのですね!

使命感に支えられた崇高な企業活動に、乾杯。
ヘンシューチョ:
閉鎖的な日本の美術界で、アールビバンが上場公開企業だということは大きな意味を持っていますね。
ただ単にビジネス上だけではなく、「絵のある生活」は別な意味を持っていると思うんです。
例えば快適で豊かな生活の楽しさを知ってもらえたということですね。

芸術家の北斎にしてもピカソにしても、長生きじゃないですか。
それはやっぱり、自分が豊かに朗らかに生きるということの意味が日常生活に投影される方向にあるとすれば、俗に言う「朗らかになれますよ、長生きもできますよ」と広げていけばそういうことも言えるじゃないですか。

全部肯定的に毎日生きてるのが、貧しく生きるのか、もっとリッチに生きるのか。そういうような事でいけば、僕は絵のある生活は長生きするのかななんて思いますね。
貧困の中で若死にしていった芸術家や、精神を病んだ芸術家も枚挙にいとまがないのですが。
ご存じないのですか、ヘンシューチョ。
近代芸術って、自分の中に作品という形で吐き出さなければいられない、止むに止まれぬ狂気のようなものがあって始めて成立するもんかと思ってましたが。

ま、朗らかで快適で豊かな生活を彩るリッチなコマーシャルアートですもんね、アールビバンの額装高額ポスターは。

そっか、アールビバンの額装高額ポスターを部屋に飾ると長生きするのか。
…まぁ、アールビバンの額装高額ポスターを価値あるものだと思い込んで満足できるような人は、かなりナイーヴでお目出度い、長生きしそうな人のイメージがありますけどw
ヘンシューチョ:
先程右脳型は図形に強い、オリジナリティに富むという話が出ましたが、全体の構図、例えばこれがいいとか悪いとか決める、それは総合的な価値判断とか美的な判断とか色々ありますよね。それは自分自身がリッチでオリジナルでなきゃわからないんですよね、受信できないんですよ。だから受信できる心も養えるんじゃないかなと。
シャチョー: 
そうですね。それは私も同感です。やっぱり日本はマニュアル型なんですよね、どちらかというと。
だから、日本は今お金持ちになった。1400兆円もあって、文化的にも生活実感でも一番豊かな国だといわれながら、でも先進諸国の欧米から比較すると、やっぱりどちらかというと見下ろされているわけだし。

なかなかここにきて、ITなんかの新しい分野をみても、日本はどちらかと言うと、置いていかれるみたいなとこがあるんですよね。
だから、ここには何の差があるかと言ったら、想像力、考える力がない。独創性がない。
ヘンシューチョ: 
右脳をもっと働かせて、みんなが“靴”を履いて、左脳型プラス右脳型人間にということですね。
シャチョー:  
先生の言われるとおりだと思います。右脳がないツケが今でてるんですよ。ですからある意味では、私も右脳開発一助になる絵のある生活ビジネスに専心しているわけです。
すみません。シャチョーの発する電波を受信できない駄目な私で本当にすみませんっっ。

むしろIT分野では未だにカースト制度の残ってるインドに追い越されてたりする訳ですが!
むしろトンデモ科学を信奉して得意げに吹聴している馬鹿が、インテリ面して評論家を名乗っているような現状の方が問題のような気もしますが!

むしろリッチ(経済的、時間的余裕に恵まれて本当の意味での教養を身につけている)でオリジナル(知性に裏打ちされた独自の美意識と価値観をもとに主体的な判断できる)な人は、キャッチセールスの甘言を真に受けて、二束三文のエスタンプに馬鹿みたいな金額のローンを組んだりはしないと思いますが!