蜘蛛之巣城

Marvel コミックスとLGBT

Astonishing X-Men #51
バリアントカバー

そういえば、前回バーナビー・ブルックスJr.について、アメコミ側の価値観からすると単なる「オカマ野郎」で片付けられるようなキャラであるという趣旨の文を書きましたが、一応補足しておくと、この場合「オカマ野郎」は「男性同性愛者」を指した罵り文句ではありません。

「このヘナチョコ野郎、てめぇキンタマついてんのか?」
的なニュアンスです。

未熟な人間の未熟さを「可愛い萌える」と言って愛でるのはオタクの特性だし、その事自体をとやかく言うつもりもないけど、それをバットマンモチーフを散りばめたキャラでやられるとグロテスクだよなーという話。
別に「ホモくさいから駄目」と言ってる訳じゃない。


仮に彼の抱える問題がホモセクシュアルであった場合、ヒーローコミック側の価値観を分かり易く言うと、こうなります。

「バーナビー君。キミの父性に対する依存癖の強い幼稚で不安定な人格が、己の潜在的性指向が同性を対象としている事を自ら許容できていない点に原因があるのなら、即刻セラピーに予約の電話を入れるなり街へ出て男と寝てくるなりして解決してきたまえ」

「自警活動というのは、一個の独立した大人として判断・行動し、その結果について責任をとれるだけの成熟した人間のみが参加を許される社会活動なのだよ。自分のセクシャリティすら把握できていない未熟な人間は『ヤングなんとか』とか『ティーンなんとか』のようなジュニアチームからやりなおしたまえ」

で、めでたく自分のセクシャリティを把握した上で対人・対社会行動が可能になったら、今度はその事から発生するドラマが展開されると。そんだけの話。

性的指向がホモかヘテロかというのは、単に性別や人種や信仰のようなキャラクター属性に過ぎませんから。


マチズモが基調になっているヒーローコミックではありますが、ポリティカル・コレクトネスに配慮して、同性愛者のキャラクターは以前からいるし、特にこの二年ばかりのマーヴェルはLGBT系にはずいぶん気をつかってます。

こないだゲイ・ウェディング・イベントが話題になったノーススターなんかはわりと有名どころですが、90年代後半あたりから既成キャラの異次元バージョンを唐突に同性愛者設定にしてみたり、近年の新キャラ、特にヤング系はかなり「政治的に正しい」メンバー構成を心がけているように見受けられます。

(Ultimate版コロッサスはまだしも、Exiles版のマリコさんがサンファイアになって、しかもレズビアン設定、でも設定を生かす間もなく速攻死亡とかの謎展開は、当時の編集も何考えてたんだか。あと、ちょっと目を離した隙にシャッタースターがゲイキャラになってたのはマジびっくりだ)



YOUNG AVENGERS #1
バリアントカバー
イラストは『スコット・ピルグリム』のブライアン・リー・オマリー

たとえば来年早々に新チーム編成でリスタートするヤングアベンジャーズ。

今年のストーリーアークで子供に戻っちゃったキッド・ロキやミズ・アメリカがチーム入りするらしいので話題になってますが、この(←)表紙イラストの後ろのほうでイチャついてる男の子2人はゲイカップルです。

ウィカン(黒髪の子)のオリジン話として、スクールカーストの中でゲイとして陰湿ないじめを受けたのがきっかけでミュータントパワーに目覚めた顛末が描写され、ヒーローチームに入ってからハルクリング(緑の子)と出会いロマンスに発展するまでの人間関係描写も、かなり丁寧にされてたような(飛び飛びに読んでたからあんまし断言できんが)。


…でも、この2人の場合、性的指向の件なんか埋もれる程、それ以外の背景設定が盛り沢山なんだけどな!

ハルクリングはキャプテン・マーヴェルとスクラル帝国のプリンセスの間の隠し子らしいし。ウィカンの方は死んだはずのスカーレットウィッチの息子らしいし。設定盛り過ぎでしょッ!スクラル関連のイベントちゃんと読んでないから、もう、何がなんだか。


まぁとにかく、新生ヤンアベはそういうメンバー構成で、しかも1号はScott Pilgrimが若者に爆売れしたBryan Lee O'Malleyのバリアントカバーを用意して話題づくりをしてる。マチズモではなく「クィア」なムードをウリにして新規の若い読者を獲得する気満々だなと。

ウィカンの描写については、今のところスカーレットウィッチとの母-息子関係のドラマが強調されているあたりも新時代な感じだけど、ヤングチームからアダルト組入りするまでには「父親的存在」と対峙する展開は確実にあるだろう。


そういえば、ノーススターの結婚イベントの回の担当ライターって、パラノーマルロマンス小説も書いてる女性作家のマージョリー ・M ・リュウなんだよな。パラノーマルロマンスと女性向けm/mロマンスって隣接ジャンルだしね。

同性婚ウンヌンは置いといても、個人的にこの展開で評価しているのは、ノーススターのお相手が市井の一般人として彼のヒーロー活動をサポートしてきた男性だってとこ。

イメージ組大量離脱前のクレアモント脚本時代、ミュータントヒーロー達の恋人の大半は非ヒーローの一般人で、彼等の存在が人間社会と折り合いを付ける為の絆になっているという設定だった。
なのに、その後「人気ヒーロー同士の恋愛ネタの方が読者ウケすんべ」という編集判断からか、次々といい加減な理由で既成カップル破局、ミュータントカップル誕生…あれはヒドかった。まじヒドかった。

女性作家を積極的に起用して繊細な人間関係描写を心がけた作品作りをするのは、00年代から悪戦苦闘してきたショージョマンガ読者取り込み大作戦のひとつの成果でもあるのかな。

マーヴェルのLGBTフレンドリーアピールは「ウチはボンクラ男ばかりの閉鎖的なクラブじゃありませんよ~女性もゲイも楽しめる作品作りを目指しておりますですよ~」というメッセージであり、女性&若年読者獲得作戦の一環なのか。

付記)「人間の集団の内1割はかならず同性愛者が含まれる以上、集団劇の構成キャラに同性愛者という属性を付加するのは当然」という判断によるキャラクターメイキングと、「幻想としての男性キャラとその同性愛関係」に女のナルシシズムを投影する「やおい/BL」とは全く性質が異なるのであるが。

タイバニファンとアメコミファン

戻り新参高齢腐女の大暴れに辟易して「もう、タイバニとは一切関わりたくねぇ」と思っていたのですが、先日、よそさまのブログの北米におけるVIZのタイバニ売り込みに関するエントリに刺激されて、コメ欄で腹にたまっていた事の一端を書き込んでしまいました。

お陰で忘れかけてたアレヤコレヤが吹き返してしまったものの、よそさまのブログに長文連投するのも美しくないので、自分のとこで処理しとこうかと。


confession
アストロシティ:コンフェッション

バットマンの再話、古典アメコミの総括と再構築、父と息子のイニシエーションの神話。
「アメリカン・ヒーローコミックの精神性とはいかなるものか」を知るにはこの一冊を読めばOKなんだが、ただ今版切れ中。

アメコミ者で横山光輝信者で、海外でのアニメビジネス展開に興味のある私は当然のように『THE ビッグオー』のファンで、さとうけいいち監督に対しては以前から相当な好意を持っていました。

そして、桂正和先生のヒーロー系作品については、長らく机の前に『ウィングマン』の森本桃子ちゃんの自作セル画を飾っていたくらいの大ファンでもありました。

ですから 、このお二人が組んでアメコミオマージュもののオリジナル作品を制作すると耳にしてからは、ずっと放映を楽しみにしていたのですよ。


で、キャラや世界設定を見て「なるほど90年代イメージコミックス系を踏まえつつ、『アストロシティ』的な名作アメコミ再解釈・再構築をやるつもりなんだな」と非常に好感と期待を持って視聴を始めたわけですよ。

本編が放映開始されてからも、キャラクター造形や配置は先の展開が楽しみになる要素が満載であるし、セットアップ時は非常にわくわくしながら視聴していました。
物語の折り返し地点(過去のNEXT差別時代、Mr.レジェンドの過去話)、後半へ向けてのセットアップ(虎鉄の能力減退)も、いくつか不満はあったものの、期待しながら見守っていたんですよ。


アメコミ者として、タイバニ前半から展開部までのようなものを見せられたら、当然クライマックスから結末までは、

幼児期のトラウマと生育環境の影響により成人後も潜在的に強度のファザーコンプレックスをかかえるバニーと、「大人になりきれない中年男」である虎鉄が擬似父息子関係を結び、双方が父親として男として精神的に成長する。
バニーは「己の成長と自立を妨げる悪しき父」であるマーベリックを、虎鉄は「失敗した旧世代の理想の父親像」であるレジェンドを乗り越えるイニシエーションを経て自立し、対等のパートナーとなる。
更にバニーは虎鉄をも乗り越えて、レジェンドも虎鉄も届くことのかなわなかった、本物の「ヒーロー」が誕生する。

…というカタルシスを期待して当然。


それがまさか、単にバニーが依存先をマーベリックから虎鉄に乗り換えて心の傷を慰撫されるだけの話になるとは。


アメリカン・ヒーローコミックというのは、良くも悪くも「男らしさという神話」をめぐる物語なんですよ。

父殺し、父越えというイニシエーションを経て、男の子が男として自立し、社会的存在になるという話。

無論、アンチテーゼや古典パターンの批評的再話、パロディというアプローチもありますし、アラン・ムーアが神格化されて以降は「解体・再構築」方向がもてはやされる傾向になったりもしてますが、アンチやパロディは本道が厳然としてなきゃ成り立たん訳で(マーク・ミラーやベンディスは嫌いじゃないけど、センターにいて欲しくはないんだよなー)。

「傷ついた孤独な少年が父性によって癒され、『ファミリー』に回収される物語」ってのは、少なくともヒーローアメコミの主題にはならない。そんなん過去エピソードとして本編開始前に済ませとけよ、って話。


だから、(国籍を問わず)ヒーローアメコミを好んで読む人間にタイバニを見せても、「なんだこのバニーとかいうオカマ野郎は」にしかならない。

…「バニーというヒーロー」に憧れる小学三年生男子(国籍問わず)はリアルに存在するか?と考えると分かりやすいかも。

素であの展開が「良い着地点」と信じてやってるのか、「日米精神文化批評」としてやってるのか、第二期が決まったせいで「自立という結末」を先送りせざるを得なかったのか、腐女子人気のせいで日和ったのか…少なくともアメコミマニアのさとう監督の本意とは思えないんだけど、なんでああなったのか。


外形は非常に良くできたヒーローコミックオマージュなのに、その精神性は「去勢されたヒーローコミック」というのは、アメコミ好きとしては、ぶっちゃけものすごく気色悪いシロモノなんですよ。


だから、VIZが当節めずらしく吹き替え版を用意して英語圏に売り込みをかけても、ヒーローコミック方面からはスルー、OTAKU方面にしろ男性ファンはつかず、寄ってくるのは腐女子ばかり…という戦績は、そりゃそーだろーとしか思えませんがな。

私も向こうでの評判はそれなりに気にしていたのですが、腐方面以外ではフェミニズム系の論者がヒーローコミックのマチズモ・女性排除を批判する際に比較対象として持ち上げていたケースを何度か見たくらい。

…てか、こういう取り上げ方をされるってこと自体、タイバニがド真ん中なヒーローコミックファンの愛するイズムと大きく外れてる証拠でしょう。

私もねぇ、放映前~初期には、「クレイバン・ムーアが原型担当したような怖い顔のフィギュア(当然パッケはブリスター型)を出して欲しいな~。そんで『全然キャラ表と似てない!』って怒る奴らをわき目にニヤニヤしたい♪」とか思ってたんですけどねぇ…。


まー、私みたいなのは「タイバニの客」じゃないってことなんでしょうな。
そんな訳で、後は腐の皆さんで存分にお楽しみ下さい。


付記1)つーか萌えだカップリングだ以前に、キャンベルの式に当てはめると「共同体から一旦放逐され、死と再生を経験し、悪竜を倒すorその父の課した試練を乗り越えて姫をめとる英雄」は虎鉄、「英雄に救済され、獲得される姫君」はバニーという事になるのだが。
制作者側は初めからバニーを「ヒーロー」として描く意図はなかったという事?

付記2)「マチズモは自分も世界も幸福にしない」とか「家父長制的価値観が社会のあり方を歪めている」とかいう思想の許に、アンチテーゼとしてアメコミネタをこういう風に料理して世に問うているというなら話は別。

でも、どう見ても社会性ゼロの「無邪気という名の野蛮」の結果としか思えないんだよね。
劇場版のサブタイトルを「ライジング」とかつけて平気でいる神経に至っては、不快度MAX。