このページにはビジュアルノヴェル『うみねこのく頃に』『うみねこのく頃に散』のネタバレが記載されています

選択肢のないノベルゲーム

本作、各エピソードを見れば、「信用できない語り手」ものミステリであり、一定のルールに基づいて語られた嘘を選り分け真相を探る趣向。

そして物語全体としては、前半は魔女ベアトリーチェが右代宮戦人にミステリとしての推理を諦めさせ、全てを魔女による超常現象と認めさせようとし、最終的には全ての真相に至った戦人が妹・縁寿に彼女のその後の生き方の基盤となる世界解釈を「魔法(愛に基づいた幻想)」か「手品(殺伐とした欺瞞なき現実)」かを選ばせるもの。


しかしその外枠のゲーム自体の構造を見れば、「このゲームを作った者」が「プレイヤー」に長々とした物語を見せた末に、最終的にボタンクリックによって魔法ENDか手品ENDかのどちらかのエンディングを確定させるものだ。

このゲームをプレイヤーに差し出した「魔女」は、ありとあらゆる手練手管を用いて「観測者」であるプレイヤーに「魔法END」を選ばせたかった。

一個人の妄想も他者と共有されれば「真実」として顕現させられる、より多くの者と幻想を共有できればより強固な史実と化す。「魔女」はこのゲームを広くばら撒いて、より多くの観測者に魔法ENDを確定させたかったのだ。


最終EP8においては、それまでずっと「選択肢のないノベルゲーム」だったにもかかわらず、ケーキ選択からクイズ大会、ベルンの紫字ゲームと、プレイヤーに矢継ぎ早に何度も選択肢を選ばせ、クリックに対する心理的負担を軽減させ、感覚をマヒさせ、更に情緒的な描写てんこ盛りにして心理誘導した末に最終二択を迫る。

これまでプレイヤーが積み重ねてきた考察の価値を減じさせ、その場の雰囲気で魔法ENDをクリックさせるという、悪徳な催眠商法も真っ青の周到な手口である。

私が期待するのは、正解に至る推理が現れることじゃない。
一体何人が最後まで、魔女の存在を否定して、“犯人人間説”を維持できるのか。
つまりこれは、魔女と人間の戦いの物語なのです。

本当に、文字通り、1ミリのブレもなく、徹頭徹尾こういうゲームだったのだ。

初っ端に堂々と宣言されている上に、EP3でご親切にもダメ押しの警告までしているのだから、ものすごいフェアプレイだ。引っ掛かって魔法をクリックしたなら、それは完全にプレイヤーの自己責任。


この宣言でいう「魔女」と「人間」は、ベアトリーチェと戦人を指すのではなく、「フェザリーヌ(1998年10月より更に未来に存在する右代宮戦人とヤス)」「個々のプレイヤー」を指している。バトラは魔女側。

エンジェに向かって「俺の言うことを信じろ」という下りは、EP4でのキリエが殺害される直前のバトラへの電話と全く同じ。


そしてGMフェザリーヌと我々のゲームは、実は1986年六軒島事件の猫箱ではなく、1998年10月のエンジェに関する猫箱の解釈を問うゲームなのだ。

縁寿の猫箱

1998年10月をもって「右代宮縁寿」の名を持つ少女は世界から消滅する。

高層ビルから投身しミンチになって、六軒島に上陸し何者かに銃で撃たれて、作家になりペンネームを使用し本名を捨てる事で、真実を捜し求める為に経歴を洗い探偵となる事で…なんにせよ、「右代宮縁寿」は「死ぬ」。

プレイヤーが最終的に迫られる選択は、実は「右代宮縁寿」の「死因」を決定せよ、という事なのだ。

ラムダ「また会いましょうね。あんたたちのハッピーエンドの、クレジットロールでね」

→クレジットロールが存在するのは手品エンド。
絶対の意志を尊ぶ魔女の祝福をうけたハッピーエンドは手品エンドの方。

エンジェ「……奇跡に愛されたら、……誰か、……帰ってきてくれるかもしれないって。 それがいつだっていい。 10年後でも、50年後でも。たとえ、私の顔を忘れてたっていい……」

→魔法編エピローグはフェザの筆による幻想。
奇跡を司る魔女の嘲笑を浴びたデッドエンドは魔法エンドの方。

そして、手品を選んだ方が、お兄ちゃんとは速やかに再会できるはず。

手品エンドの場合、八城十八の正体に感づいた『探偵』エンジェは遠からず彼等の許にやってくるだろう。その時バトラは真実を受け止めて尚雄々しく生きるエンジェを称えて、洗いざらい真実を話すつもりかもしれない。

魔法エンドの場合、心穏やかに生きる道を選んだ『白魔女』エンジェをバトラは遠くから祝福し、彼女の余命が危ぶまれる頃に、今までの事を色々とつじつまを合わせた「優しい嘘」を用意して会いにいってやるつもりなのだろうか。

縁寿の一なる真実

…だがしかし、我々のゲームが行われているのは2007年以降の世界であり、エンジェの実際の選択は1998年時点で既になされ、その選択に未来からの観測者である我々が介入することはできない。

我々が魔法をクリックしようが手品をクリックしようが、「エンジェの一なる真実」は変化しない。

にもかかわらず、真のGMフェザリーヌは真のプレイヤーである我々に対して、魔法ENDを選択し魔女幻想に加担するようにあらゆる手練手管を用いている。「エンジェは作家になって幸せに前向きに生きているという幻想を共有してね」と。

チェス盤をひっくり返すと、わざわざそんな小細工をしなければいけないという事は、エンジェの実際の選択は魔法ではなかったと推測できる。


投身自殺の結果「右代宮縁寿」が消滅したとすると、流石に新聞沙汰になって消滅の事情が確定してしまうので、そのセンはないだろう、やはりエンジェは「謎の失踪で世間から消えた」のだ。

そして、GMフェザは懸命に多数の人間が「魔法ENDという幻想」を共有する事で、それが一なる真実を越える黄金の真実になるように策を弄している。

ということは、エンジェの現実の選択はラムダと約束したハッピーエンドである手品ENDだったのではないか。


調査と推理の結果、作家・八城十八の正体を突き止めたエンジェは、遠からず兄と再会を果たし、事件の真相を洗いざらい聞き出したのでは。

その結果、エンジェの内面にどのような変化があったのか、須磨寺や右代宮グループとのトラブルが未解決のままの彼女の身の安全がどうなったか、あまり愉快な想像はできない。

そして魔女たちは、どうしようもない悲しくつらい現実をくるむ「優しい嘘」として魔法ENDを生み出し、「これを真実として共有してください」と私たちに差し出したと。


できればエンジェには、バトラやヤスと共に雄々しくふてぶてしく生きていて欲しいとは思うのだけれど。