このページにはビジュアルノヴェル『うみねこのく頃に』『うみねこのく頃に散』のネタバレが記載されています

幻想の女

ゲーム内現実において、右代宮縁寿と作家・八城十八は実際には顔を合わせていない。
EP8エピローグにおいて、数十年後にエンジェと八城が会見する描写があるが、これはフェザリーヌ筆の幻想である。
しかも魔法エンド限定、つまりは「思いやりに基づいた嘘」を肯定するという意思表示をしたプレイヤーのみが見ることのできる描写であり、ゲームが世に出た2011年よりも先に位置する時代設定のエピソードである。真に受ける根拠は微塵もない。


EP8本編内では「作家・八城十八が偽書作家『伊藤幾九郎〇五七六』であると明かした上で、メディアに姿を晒し、右代宮絵羽の日記公開イベントを開催し、それをドタキャンする」事件があったとされているが、これも実は魔法エンドが前提のエピソードなのである。手品エンドとは整合性がないのだ。

しかもゲーム内でメタではない『現実』と錯覚されるような描写がされている日記公開イベントにおいて、八城十八として登場する女は日記内容の真実性について「赤文字」を使って宣言している。
これは「この場面は『現実』を模した幻想」というサインであろう。(参考:はたしてEP8に「現実パート」は存在するのか


よって、「長い黒髪の八城十八という女性」は、右代宮縁寿の脳内にしか存在しない。

偽書を読み、その作風から「読者を見下した偏屈な作家」「六軒島事件から生き延びたベアトリーチェでは?」という疑いから、ああいう「上から目線の女性作家」というキャラを設定したのだろう。

伊藤幾九郎〇五七六

「伊藤九郎〇五七六」で「11019960576」なのだから、「幾子」は「19子=19年前の男=ヤス」であろう。

19子という名前。ディープなミステリマニア。自称・富豪一族のはみ出し者で、若いみそらで多額の資産を持って悠々自適の隠遁生活中。符号が合いすぎる。

いくら変わり者とはいえ、記憶喪失者を拾ったら身元を突き止めようとするだろうに、ましてミステリマニアなら「十八」が巻き込まれたであろう事件に好奇心を刺激されるのが自然だろうに、裏金を使ってまで隠匿し、ひたすら彼を囲い込もうとする。
こんな女性に戦人が拾われる偶然なんて、ありそうもない。


しかも、EP8本編内描写を信じるならば、「十八」が保護されたのは、事件直後の1986年ではなく、一般家庭までインターネットが普及した1995年前後のはずなのだ…。

仮にこの記憶喪失が事実だとしても、それまでの10年近い年月の間、バトラが死を装っていたのは、記憶喪失以外の理由によるものということになる。監禁されていたのでない限り、バトラが自主的に潜伏していた訳だ。


絶対や奇跡という概念の擬人化であるはずのラムダデルタやベルンカステルよりも、フェザリーヌは上位存在。一介の作家に過ぎない八城十八が何故それ程の力をもつのか。

本シリーズに登場するラムダやベルンは「八城十八」作の偽書の登場人物であり、執筆者である八城の筆先一つでどうとでもできる存在という事か。ただし、設定や物語の流れを無視してご都合主義的に動かすと、作品自体のクオリティが下がり、作家としてのプライドが許さぬ故に100%自分勝手には扱えない…という制約はあるとか。

第二の魔女同盟

マリアはオリジナリティのある発想力に恵まれて、ベアトはそれに肉付けして話を広げる才能があった。マリアージュ・ソルシエールは、いわばコンビ作家のペンネームのようなもの。

これを踏まえると、筆力はあるが職業作家になるには何か欠けたところのあるイクコが、トウヤという発想力のある相方を得て『コンビ作家・八城十八』として成功 …というのは、第二の魔女同盟誕生のようなものだ。


イクコは単独では造物主の域までは至れなかった。という事は、魔女フェザリーヌ=八城幾子ではなく、
魔女フェザリーヌ=コンビ作家八城十八(幾子&十八=ヤス&バトラ)

ふたりでひとり。宇宙を生み出すふたつの魂。
この場合のマリアージュ・ソルシエールは字義通り「魔女同士の結婚」ということになるが。

尚、EP8のキャラ紹介画面では、十分なスペースがあるにもかかわらず、バトラとベアト単独ではなく「バトラ卿夫妻」になっている。二人でワンセット。


ゲーム内駒の上層にある、GMと魔女たちの世界の、更に上層に位置する造物主の域に達した存在の魔女フェザリーヌ。
しばらくの間「死んでいた」が、ベアトのゲームに興味を引かれて生き返った。

フェザの弱点は、それがないと自分の存在を保てない頭部の記憶装置。
過去に記憶装置にダメージを受けて人格変容を起こしたことがある。
=交通事故によるトウヤの記憶障害を暗示するような描写である。

グラフィックは女性だが、 どちらかというと「イクコ成分」よりも「トオヤ成分」の方が強いのだろうか。

フェザリーヌのゲーム盤

EP8において、駒たちが「エンジェと12年振りに再会した」と言い、86年以降の世界で発見された理論などを口にするので、「バトラとエンジェのゲーム」のGMは1998年に存在すると思われる。

魔法エンド後、フェザリーヌのゲーム終了宣言とともに、ベアトも含めて駒たちはあっさりと消える。残るはバトラとフェザ、エヴァベアト、ヱリカのみ。そしてバトラとエヴァベアトも「駒としての役割(黄金郷の扉を閉めて猫箱に過去を封じ込める)」を終えて消える。EP8に登場したバトラ卿とベアトは駒に過ぎず、ゲームマスターが別に存在する事が示唆される。

バトラ卿のゲーム盤はフェザリーヌの図書の都(=八城の書斎)に接続されていた。ラストでその世界は図書の都から切り離されて崩壊し、ゲーム盤はフェザによって片付けられる。


世界が崩壊し駒バトラと駒エヴァベアトが別れの挨拶を交わす際に、駒バトラは「またな」と言う。
ヱリカとの別れの挨拶も「またいつかどこかで」。
盤内86年で別れても、十数年後の現実でバトラはトオヤとして偽書を書き、彼等は再会するからか。


魔女は未来に存在する方が力が強い。
1986年10月のベアトリーチェがバトラ、1998年10月のベアトリーチェがエンジェ。
最上位のフェザは1998年10月より更に未来(エンジェの二択後の世界)に存在するのだろう。

フェザリーヌは1986年10月6日のエピソードを描き足し、バトラとベアトの悲恋の成就をもって物語を〆る。


つまりは、EP8の真のGMはバトラ卿(=1986年の右代宮戦人)ではなく、フェザリーヌ(=1998年10月より更に未来の右代宮戦人とヤス)だったということだ。

そして誰もいなくなった

エピローグの幻想内で晩年のエンジェに語ったような、記憶障害、乖離、自殺未遂など、どこまで本当か知れたものではない。車椅子姿も全く信用できない(ちなみにこのエピソード内のエンジェはベルンを覚えているくせに、イクコを見てもフェザリーヌを思い出さない)。

ともかく、バトラは塗炭の苦しみを舐め続けるエヴァや幼いエンジェを放置して、「自らの意志で」ヤスとともに身を隠し続けた。それだけでなく、事件後十年頃からエヴァの死に至るまでの間、真相を糊塗する為か、様々な内容の偽書を世間に撒き続けた。

六軒島事件の真相を全力で世間とエンジェから隠し続けたのは、やはりルドルフ一家が事件に大きく関与しているからとしか思えない。
EP7でベルンの提示した真相やEP8内の「一なる真実」はエンジェの「最悪の真実」に対する恐れが形をとったものであり、「本当の六軒島事件の真相」とは違うだろう。しかし、別の形でルドルフ一家は事件に関与しているはず。

ベルン赤文字「ベアトリーチェは、1986年10月に、死亡した。よって、彼女が生み出した黄金郷は、完全に滅び去った。黄金郷に生かされていた、お前の親族たちも全員、滅び去った。お前の父も、母も、そしてもちろん戦人も、二度とお前のところに戻り、お前の名を呼ぶことはない」

「戦人」と「ベアトリーチェ」は1986年10月を境に存在しなくなった(=概念上死亡した)というのは事実。「お前の兄」と言わないのがミソ。


…ちなみに、『そして誰もいなくなった』に登場する童謡の最後の歌詞には

He went out and hanged himself and then there were None.(彼は首を吊り、そして誰もいなくなった)

He got married and then there were none.(彼は結婚し、そして誰もいなくなった)

の二種類があり、クリスティは原作小説は前者に準拠し島の滞在者全滅エンド、戯曲版はヒロインとヒーローが生き延びてエンドにしている。

右代宮戦人も、「世間向けには死亡を装いつつ、実は初恋の人と共に生き延びて結婚(マリアージュ)していた」というオチは『そして誰もいなくなった』 オマージュ作品としてはなかなか巧妙なのではないか。