このページにはビジュアルノヴェル『うみねこのく頃に』『うみねこのく頃に散』のネタバレが記載されています

三組の恋人達

『家具たちの決闘』を「ジョージ、ジェシカ、バトラという複数の恋愛対象から一人を決めかねた末のヤスの苦悩」と解釈すると、非常に不可解なことになる。

直近の2年近くを交際に費やし、詳細な将来設計をし、親族一同と対決する覚悟を決め、指輪を用意してきた譲治。

作中での両者の恋愛感情の濃度がEPごとに激変し、EP6においてすら「なぜ好きなのか具体的な理由があげられない」朱志香。

あくまで幼い初恋の相手であり6年間も音信不通の戦人。

この三者が等価というのは、普通に考えるとおかしい。

特にジェシカについては、ミステリ解釈では「カノンとの恋愛」は跡形もなく、ヤスが「カノジェシ恋愛幻想」を生み出したのはジョージとの沖縄旅行(7~8月中)において「次の親族会議(10月)でのプロポーズ予告」が行われた後、9月の文化祭を期にしての事である。

まるで次の親族会議に合わせて慌ててでっち上げたようだ。


これは「シャノン、カノン、ベアトという複数のアイデンティティから自己を決定しようとするヤスの苦悩」であり、ジョージ、ジェシカ、バトラという具体的な個人を恋愛対象として選ぶというより、複雑な性的アイデンティティをもつヤスが、各人の対となる自己である紗音(女)、嘉音(男)、ベアト(魔女=性別を超越した存在)からひとつを選ぶための内的葛藤と考えたほうが納得できる。

だからこそ、この三択は「金蔵の3人の孫」という限定されたカードから選ぶ必要があるのだ。

3人の恋の相手はタロットのカードのようなものであり、カードを引くヤスの運命を示すものに過ぎない。
重要なものは示された運命であり、カードそのものではない。それどころか、結果が出た後はカードは不要。

他者は吾を映す鏡

作中でジョージが自己の恋愛に関して力説しているのは、シャノンという女性自身の魅力よりも、「シャノンを伴侶に選ぶ事によって獲得できる『理想的自己の未来像』」だ。

また、かつての金蔵は「右代宮当主の座を押し付けられるのと同時に強制された結婚相手である妻」と過ごす空虚な人生と、「共に過ごす間は『繊細な感受性のロマンチスト・金蔵』でいることのできるビーチェ」との至福の日々に引き裂かれていた。


「愛の対象として誰を選ぶか」がそのまま「己の欲する自己は何か」という選択になっているのである。


尚、金蔵は「自分を『金蔵』と呼ぶ事で『右代宮家当主』から開放してくれたビーチェ」に固執し、クワドリベアトに自分を『お父様』ではなく『金蔵』と呼ばせていた。
それが最期の時にはヤスに『ベアトリーチェ』ではなく『理御』と呼びかけ、「『お父様』と呼んでくれ」と頼んでいる。
金蔵はその人生の最後の瞬間に「『理御の父』である自分」を選択した事になる。


「わたしは、だあれ」という問いかけには、「かつて共に楽しい時間を過ごしたメイドのヤスを思い出して」と「わたしは一体何者なのだろう。シャノンかカノンか魔女なのか」という問いも含まれているのだろう。


よって、「誰かが報われ」はヤスの肉体を持つ者と結ばれるジョージ・ジェシカ・バトラではなく、ヤスの肉体の支配権を得るシャノン・カノン・ベアトを指すと思われる。

ヤスにとって重要なのは「恋愛対象としての三者からひとりを選ぶという形式を取った己のアイデンティティ選択」であり、その選択後に各対象との『現実』の恋愛関係がどうなるかというのはあまり重要なことではないのだろう。

そもそも、ジョージを選択しても彼の望む未来(=子沢山の結婚生活)を提供できないのは事前に分かっているし、ジェシカについては恋愛関係自体が完全なる幻想なのだ。

シャノン人格は、古くからのイマジナリーフレンドであった「よく出来た優しいおねえさんキャラ」を「社会適応した対外的人格」として流用したもの。

カノン人格は、もともとはバトラへの失恋を期に生み出した「自分を絶対に裏切らない、傷つけない男性」のイマジナリーフレンド。

それが自身の肉体上の問題が判明後に「自己のもうひとつの側面」として再設定され、ジェシカが「カノンの対」に充てられる。

魔女人格は、シャノンとして社会適応する為に裏面に追いやった「タチの悪い悪戯好き、自由奔放で夢見がちな人格」が、後にシャノン人格がもてあました「現実的に考えれば成就はありえないバトラへの恋心」をも受け持たされたもの。

更に出生の秘密が判明後には「金蔵の妄執の相手である魔女ベアトリーチェ」と統合。

これにより、自動的にバトラは「実らなかった初恋の相手」であると同時に「金蔵の生まれ変わり」として「ベアトの対」に再設定されることになる。
バトラ自身は全くあずかり知らぬうちに、他愛ない子供時代の淡い初恋が「三代に及ぶ呪われた運命の恋」という意味を持たされてしまう。

金蔵とベアトの賭け

「妾とそなたが、2代前の前世で、始めて出会った場所であるぞ」

魔法解釈によると、歴代ベアトが同一人物なのと同様に金蔵とバトラは同一人物なので、ヤス認識ではこうなる。


EP1での初登場場面以降、ゲーム中では何度もバトラと金蔵が似ていると描写され、EP4では「妾のゲームの相手は”右代宮金蔵の孫である右代宮戦人”」と宣言されている。

ミステリサイドを代表するキャラであるウィルは「瓜二つというほどでもないが、よく似ている」と発言しているが、魔法サイドのキャラである金蔵の昔語りに登場する過去の金蔵はバトラの表情グラフィックの流用であり、魔法ENDエピローグに登場する初老バトラは金蔵の過去グラフィックと同じ顔をしている。


これは「魔法側に与する者にとって、彼等は同一存在である」という事を示す記号だろう。

「決闘はしたのです。決着も、つきかけていました」

EP6内で象徴的に描かれたように、三択といってもバトラが不在な以上、実質シャノンかカノンかの二択であり、長年女性としての性自認で過ごし、周囲からも女性として扱われてきた以上、困難は伴えどシャノンとして生きる覚悟を決めてカノンとベアトの人格を淘汰しようとしていた。

ところが、最悪のタイミングでベアトの対である「金蔵の生まれ変わりのバトラ」が帰還してしまった。

家具同士の決闘よりも優先度が高い「金蔵とベアトの賭け」に決着をつける必要が生じ、己の運命を賭したルーレットを開催する事にした (註1)。

そして出目の条件を整えるために、現実には存在しない「カノン-ジェシカ恋愛幻想」を急遽捏造し、バトラが金蔵の魂を受け継ぐ儀式として碑文の謎に挑むような趣向を用意する。


シャノンにしろ、カノンにしろ、ジョージやジェシカに碑文の謎を解いて欲しいとは全く望んでいない。
ジョージやジェシカが謎を解いて当主となる事には意味はない。 バトラが解いた場合のみ「金蔵の再生」という意味が発生する(註2)。


そしてバトラが金蔵の生まれ変わりであるならば、解読に必須の情報(金蔵の故郷、礼拝堂のレリーフの存在)を与えられなくとも、謎を解けて当然なのである。自分で作成した暗号なのだから!

このビジュアルノベルの読者である我々に対して、出題編の無印では金蔵の故郷に関する情報が一切与えられないのも、恐らくはその為。我々が碑文の謎に挑んだところで意味はないのだから。


ヤスが金蔵の遺産である時限爆弾でタイムリミットを設定したのは、ヤスが金蔵の習慣に従ったのではなく、「金蔵が難問を解決する場合にそうしていたのだから、バトラの場合もそうするのは当然」という事かもしれない。

(註1)この時点で「右代宮金蔵」は死亡しているにもかかわらず、ベアトの認識では「金蔵とベアトの魂の支配を賭けたゲーム」は続行中である。つまりはベアトリーチェがヤスベアトとして存在しているのと同様に、金蔵もまた形を変えて86年10月の六軒島に存在しているという事になる。

(註2)EP3盤内でエヴァが自力で碑文を解いたのは奇跡の魔女ベルンカステルから「奇跡じゃなくて偶然」と言われ、EP5盤内で表面描写でもミステリ解釈でも八百長のカンニングで正解を与えられたに過ぎないバトラの碑文解読は幻想の金蔵から「真の奇跡」扱いされている。

賭けの勝者

モロモロの暗示から察すると、実際のルーレットの出目はシャノンでもカノンでもベアトでもなく、「0」であり、賭けの結果は親(ヤス)の総取りという事になったようだ。


フェザリーヌの筆による魔法ENDにおいて、86年10月6日早朝のヤスベアトは「戦人=金蔵の生まれ変わり」の前提で話をしている。ということは、あのバトラは碑文の謎を解いた事になる。

バトラが碑文を解き、ヤスは実際に手を汚さずに済んだ。それなのに惨劇は起こった。


あのバトラは碑文を解いた上でヤスの「生まれ変わり妄想」については「ロマンチックな解釈」と肯定も否定もせず軽く受け流している。どことなく「メンヘラ女をなだめすかしている」ような態度だが、一旦「生まれ変わって成就された金蔵とベアトリーチェの愛」を肯定する事でヤスの強迫観念を解消し、精神の安定を図るのはクレバーな態度といえるかも知れない。

その後のボート上のやりとりと合わせて、「金蔵とベアトリーチェの魂も、シャノン・カノンという存在も、全てベアトの猫箱に封印して海の底に沈め、新しい人間として島を離れた」という事情を幻想で修飾したものとも受け取れる。


魔法END後日談でバトラの事情として語られた「ボートに乗った前後の記憶がない」「過去の記憶はあるが、それに感情的な実感が伴わない脳障害」「記憶回復とともに『過去の自分』に現在の自分が乗っ取られる恐怖に襲われた」は、むしろ多重人格統合後のヤス=幾子にふさわしい。
盤面においてシャノン・カノンの事情をジョージ・ジェシカのものとして語ったのと同様に(参考:はたしてEP6は「ハッピーエンド」なのか)、作家ユニット「八城十八」の過去話としてすりかえて話しているのでは。

島で陰惨な大量殺人事件を実際に経験しているのに殺人ミステリを書けるヤスのメンタリティは異常だが、実体験としてのリアルな感情は喪失して「推理小説のネタ」の記憶だけは残っていたというなら納得できる。それを発表するあてもなく書きとめてきたのは、箱庭治療的に自分の心を探ろうとする試みだったのかもしれない。


ちなみにEP7のウィルはクレルの件で「死後も、何年経っても」と言っている。つまりウィルの「中の人」は1986年より何年も先の未来からの観測者という事になる。

そして本編内で「シャノカノ幻想」を看破したウィルはベルンの使い魔に「左腕」を喰われている。EP4で「金蔵生存幻想」を破られたベアトが「右腕」を下ろしたのと対表現だ。
…ということは、ウィルの「中の人」は幾子なのでは。

『フェザリーヌ』が自分の推理の答え合わせの為に行わせたゲーム内で、『理御』をパートナーに『ウィル』が『クレル』を尋問し、『ベアトリーチェ』を葬る…というのは、ヤスの自問自答による心の整理を象徴的に描いたものなのか。


バトラは碑文の謎を解き、ヤスは手を汚さずには済んだものの、ミステリという謎賭けをしそこなった為に「バトラにホワイダニットのミステリーを投げかけて、自分の心を解き明かしてもらう」が叶わなかった。

しかもヤス自身も人格統合後は「六軒島での苦悩の日々の実感」を喪失してしまい、何故あのような大それた事をしでかそうとしたのかが「我が事として」分からなくなり、それがずっとしこりになっていた。

誰にも理解されずに死んだ魔女とは、生きて本土に渡って幾子になったヤスの肉体を持つ人物ではなく、猫箱に封じられて海の底に葬られたヤスベアトの心を指している事になる。もはや当の本人である幾子からさえ心情を理解されない存在になってしまった哀れな魔女の。


…幾子はこれで一応心の整理がついて過去の自分を昇天させたものの、縁寿は納得できずに茶会とEP8に続き、分身の理御はそれに付き合わされると。