このページにはビジュアルノヴェル『うみねこのく頃に』『うみねこのく頃に散』のネタバレが記載されています

現実or幻想?

目まぐるしく「舞台背景」が入れ替わるEP8であるが、果たしてこのエピソード中の「現実」はどれだろうか。

盤内1986年六軒島
黄金郷及びバトラ卿のメタ次元
フェザリーヌの書斎、図書の都


これは問題なく「メタ・幻想」場面

1998年六軒島への旅の途中の車内

エンジェが車中で24時の時限装置の存在、エヴァが事件直後に「何も話すことはできない」と言った事等を回想。 天草に少年兵の話を聞かされる。

これは「現実」場面と受け取っても無理はない。

1998年の八城十八邸

フェザリーヌの書斎とシームレスな八城の書斎も幻想だろう。
よって、この場で天草が話す「絵羽会長の日記帳」に関する裏づけ証言も幻想。

そもそも引き合いに出された「夏妃の秘密の日記」は八城作のEP5に登場するのみの存在である。
仮にそのような手記が実在したとしても内容が第三者に漏れるとは考えられない。誰にも存在自体が知られぬまま館と共に灰になっているはず。

駒エヴァは日記の存在を認めているが、駒はGMのコントロール下で演技をしているだけだ。

日記が八城の手に渡るまでの経緯も嘘くさいし、現実において「物理的な日記の鍵」がどこにあったのか、どのように入手したのかの説明は一切出てこない。


ただし、フェザリーヌが「一なる真実の書には六軒島の真実が記されている」と赤字を使っている以上、「メタ界における真実の書」には、掛け値なしの真実が記されているのだろうが。

1998年の日記公開イベント会場

八城幾子が「日記には真実が記されています」と赤字を使っている事から、現実に見せかけた幻想であろう。

「赤き真実は魔女のゲーム盤にだけ出てくるもの。ニンゲンの世界に、赤き真実など、存在しない」

1998年の高層ビル屋上

メタ次元の図書の都で「一なる真実の書」を閲覧したエンジェがショックで身投げする。

図書の都で身投げするエンジェと現実のビル屋上から身投げするエンジェがめまぐるしく交互に描写されるが、エンジェの無残な死体が描写されるのはメタ次元のみ。


「現実」においてエンジェは絵羽の日記を読んでいない。よって「現実」で「一なる真実を知ったショックで投身」は成されていない。

日記を閲覧したエンジェの脳内イメージとして浮かぶのは
「エヴァ、ヒデヨシ、ルドルフ、マスターキー、礼拝堂、黄金、シャノン(背景は夜の屋外)、本館のどこか、血」

碑文の謎が解かれ、黄金が発見され、その後惨劇が起きたことを示唆している。

EP7(両親が殺人犯で、母は自分を微塵も愛していない)とベルンの紫字ゲーム(犯人は両親とバトラ)で「最悪の真実の可能性」を見せられて脅され、それでも真実を受け入れると覚悟して日記を開けたエンジェが自殺を図るほどの惨い内容らしい。

書の内容は、少なくともエヴァが犯人であることを示してはいないだろう。そしてエンジェは「お父さんもお母さんもお兄ちゃんも、みんなただの犠牲者!誰も悪くない」と必死で言い張っている。
両親と兄が事件に深く関わっているが、「彼等三人が財産目当てで親族皆殺しをした」よりも、更に認めがたい醜悪な事態らしい。

1995年前後の八城宅

ある雨の晩に「八城幾子」が「自称十八歳の記憶喪失者」を保護する顛末。後日談でこの「十八」が記憶を失った戦人であると明かされるのだが…

バトラが保護されてから記憶を回復するまでは、そこそこの長さはあるが何年間にも渡るようには読み取れない。

幾子の書斎にはインターネットに接続されたホームコンピュータがある(一般家庭にネットが普及したのはWindows95発売以降である。商用パソコン通信ならば86年あたりからサービス開始しているが、作中描写からしてパソコン通信黎明期のようには見えない)


バトラが記憶回復するきっかけになったネット記事を目にしたのは、幾子との初めての合作小説「黒首島奇譚」が完成し、出版社に送ることを決めた夜の事である。

EP6によると、作家「八城十八」が推理小説の新人賞を受賞してメジャーデビューしたのは「昨年(97年)」の事であるが、それ以前から別名義で何作か評価の高い作品を商業出版していた。

幾子は十八と合作する以前に、一作を出版社に送り没にされている。

「黒首島奇譚」は彼等のデビュー作だが、「八城十八」名義ではない。この作品を書き上げたのは、95年頃と思われる。
彼等が偽書を書き始めたのはこれ以降という事になる。


魔法END後日談との辻褄合わせの伏線として挿入されたエピソードだが、この記憶喪失事件は事実だろうか。
フェザリーヌについて「過去に頭部の記憶装置にダメージを受けてバグり、人格変容を来たした事例がある」という主旨の記述があり、バトラの一時的記憶喪失とリンクしているが。

フェザはしきりに「知ることより知らぬことの方が貴重。両者は不可逆」と言っているが、記憶喪失は「知らない状態」に逆行できるレアケースである。「記憶が回復して知らない幸せを失った不幸」を経験したからこその発言なのだろうか。

黄金郷で目覚めた後のエンジェは完全に幻想を受け入れている(幻想キャラ達を目視し普通に会話している)。

ちなみに「やさしい使用人の人たち」を思い出す際にカノンの姿を想起しているが、エンジェは「現実」においてカノンと対面した事はない(できない)はず。自己防衛の為に記憶を改ざんしている。

また、ベアトがメッセージボトルを投じたのは単なるイタズラという胡散臭い説明を積極的に受け入れている。

魔法END後の1998年

身投げ直前のビル屋上に戻り、その場で電話をして小此木に右代宮グループの実権を委任。八城は日記公開イベントをドタキャンし、それをきっかけに六軒島ミステリが沈静化する。

「小此木さんのあの日の言葉を理解する為だけに長い旅をした」と言うのだが、これはエンジェ投身後に聞いたはずのセリフなのだが…
小此木はそれがエンジェの心の中の旅と解釈する。天草は新生活に向かうエンジェを車で送る。


これらが現実だとすると、エンジェは六軒島への実際の旅を行っておらず、その旅の途上で明らかになった様々な情報(マリアの魔道書に残された筆跡鑑定、量産さくたろう、貸金庫の大金等)が幻想になってしまう。

後日談によると、このエンジェも作家・八城十八に会見を求めて空振りした事があるらしいが、実際に真実を知る為の旅を行っていないなら、それは一体いつの事になるのか。


不思議なことに、魔法エンドにはバトラから大事にしろと言って渡された「クイズパーティーの景品」は一切出てこない。お涙頂戴的な描写があっていいはずだが…

魔法ENDの数十年後

これがフェザリーヌの筆による創作である事は作中ではっきりと描写されているし、時代設定もゲーム『うみねこ』発売よりもはるか先の話。現実のはずがない。

児童小説作家として成功したエンジェの受賞パーティ。エンジェの代表作「さくたろうの冒険」に関する描写は、もっともらしさを持たせる気がないとしか思えないいい加減さ。


作家・八城からの会見申し込みに、代表作に登場する「さくたろう」と、自分のペンネームから正体に気付いたのだろうと推測するエンジェだが…事件の日まで6年間マリアと縁がなく、エンジェとも別居でたまに会うだけ、エンジェとマリアは85年親族会議時点で絶交状態。バトラがさくたろうについて耳にし、記憶している可能性は極めて少ないのでは。

対面した八城はエンジェより年上のはずが、人間離れした若々しさ。
そしてその八城を見てもエンジェはフェザリーヌを思い出さない。しかし「魔女があんなにも赤き真実で、兄は死んだと繰り返してた」とベルンカステルやEP8ゲーム盤内の出来事は記憶している。


信用できる記述はひとつもない。

手品END後の1998年

六軒島に向かう船上。エンジェはパーティーの景品を海に放る。天草は放り捨てた景品を目視して何かと尋ね、エンジェは「未練よ」と答える。

自分が売られた事を察知したエンジェは天草と川端船長を殺害し、六軒島には上陸せずいずこかへと航海を続ける。傍らには真実の魔女ヱリカ。


幻想の存在である景品を海に放るのは、エンジェの決意を表した象徴表現と解釈できる。ヱリカと会話するのも自問自答の象徴化で説明がつく。

しかし、天草が海に捨てられる景品を目視していると言う事からは、この船上の場面全体が幻想という可能性が浮上してくる。


このエンジェは新島まで物理的に旅をし、その過程で様々な情報を得ている。八城への会見申し込みを断られてもいる。
一方、こちらの世界では八城による日記公開イベント告知やドタキャンは行われていないようだが、そもそも日記公開イベント自体が幻想なのだから問題はない。


魔法エンドに比べれば整合性が取れているが、しかしゲームの景品のせいで全てを現実とは解釈できない。
幻想(黄金郷のオミヤゲ)と幻想(ヱリカ)にサンドイッチされた描写のどこまでが現実なのか。

1986年10月6日六軒島

轟音の後、潜水艦基地廃墟でバトラとベアトはボートで脱出。ベアトが身投げし、バトラも後を追う。2人は猫箱の眠る忘却の深遠に消える。
フェザリーヌの手向けた黄金の薔薇が箱の上に落ちる。


ベアトの身投げまでは現実かもしれないが…。インゴットを抱いて飛び込んだが、すぐに気絶してインゴットだけ海中に落ちた=黄金の薔薇なのかもしれない。

2人は新島の福音の家に一時身を寄せ(神父は懺悔の内容を口外できない)、折を見て本土へ渡り、名前を捨て新生活に。盤内で金蔵が福音の家への援助を特に遺言していたあたりが暗示。

「現実」と受け取っても問題なさそうなのは、「1998年六軒島への旅の途中の車内」のみ。
判断に迷うのが「記憶喪失時代のバトラ」「手品END」
虚実が交じり合っているのが「1986年10月6日六軒島」

それ以外は完全なる幻想だろう。
というか、ここまでくると「天草十三」という人物はあの作中現実に実在するのか…という疑問すら出てくるのだが。


両ENDにおける「黄金郷のおみやげ」の扱いが非常に不可解なのだが、

手品END: クイズパーティパーフェクトの景品「ベアトの人形(カタシロ)」を海に捨てる
魔法END: ベアトリーチェのカタシロとしての「ベアトという存在」を海に捨てる

…という対応関係に見えなくもない。